
26-002-001 : "Yamakichi" Archives
いとこさんが「ヤマチキ」で働き始めたのは、16歳。
当時この地域では、中学校を卒業すると機屋へ働きに出るのが一般的な進路だった。 しかし、いとこさんはとてもおとなしい性格で、人と口をきくことが少なかった。そんな娘を心配したご両親は、「店屋で働かせたら、少しは良くなるのでは」と考え、洋服屋の『ヤマキチ』へと送り出した。 この洋服屋での日々は、そこから10年間も続くことになる。
お店にはいとこさんを含め6〜7人が住み込みで働いていた。
同僚たちの中には、国中地方(塩山や牧丘など)から働きに来ている若者も多く、店舗の裏で共同生活をしていた。お勝手担当のウメさんという方もいたそうだ。
ヤマキチの従業員は、毎日店舗の商品棚を表に並べたり、商品の管理や表の砂埃を防ぐために柄杓で水撒きをしたりした。
特に忙しくなるのは暮れの時期だった。足袋や革ジャンパーが飛ぶように売れました。さらに機屋さんの慣わしとして、工場主が織子さんたちへのお歳暮・ボーナス代わりである「お仕着せ」の品を買いに来るため、店内は活気に満ちていたそうだ。
休みは月に一度「25日の定休日」のみだった。
その日には、富士吉田市の歓楽街、西裏地区の「長栄楼」というラーメン屋や、「国際」という映画館を利用したそうだ。さらに「ヤマキチ」にはお風呂が無かったため、「小野屋」という風呂屋をよく利用したと話してくれた。
「人と口をきかなかった」というかつてのおとなしい少女は、お店での経験を経て、今ではすっかり「ぺちゃくちゃ喋る」明るい文具屋の店主になった。
(梶原いとこさんへの聞き取りを元に再構成)