


『森英恵』
『森英恵』
ほらこういう機械を…ね。これは何の機械、どこの機械だ?なんかシャトルじゃないと思う。こういうふうなジャカードの。回ってるあれだから。
あ、、これはね、シャトルで織ってた。
この通じがガシャガシャガシャって言ってボーイを作っていくから。そのとき、森英恵さんが見に来てね。
- リサーチャー
- Ryoga Baba
- 登録日
- 2024.09.30
ほらこういう機械を…ね。これは何の機械、どこの機械だ?なんかシャトルじゃないと思う。こういうふうなジャカードの。回ってるあれだから。
あ、、これはね、シャトルで織ってた。
この通じがガシャガシャガシャって言ってボーイを作っていくから。そのとき、森英恵さんが見に来てね。
私も生まれは東京。東京の南千住で生まれて、でも戦争で親が亡くなって。ちょうど昭和20年。ほら、東京に下りたでしょ。
だから私18年に生まれたの。戦争の2年前だから子供のときで知らないんだけど。それから今度東京で空襲がほら来たときには、仙台に逃げてたの。仙台から今度は東京行って、東京から今度は静岡に行ったの。で、静岡から山梨県へ小学1年生のとき来てそのままずっとここにいるんだけど。
だけど親はみんな戦争で亡くなったから名前もわかんないし。だからそういうのがさ、うちが自分で調べるわけにいかないし。80にもなって年金暮らしでさ、お金も大変だし。みんな知ってる人は亡くなってると思うよね。
とりあえず戦争っていうことで、静岡に籍が入ってるお父さんがいて、吉田は来るまでには静岡にいたんだけど。お父さんちゅう人が亡くなったとき、籍がそこのお父さんに入ってたのね、静岡の。
ほんで亡くなってから2年経って、実はあんたら籍はお父さんに入ってるけど…上司から預かった子供で育てただって。上司は戦争行っちゃったから。亡くなるわかってるから、きっと。そんなさ、上司の子供を預かって育てて籍いれてくれたなんて人なんかねえ。尊いよ。
でもね、こうやってこっち来てさ、機を織るために吉田へ来て。子供の女ってほら。すごい機屋さんがガチャマンつってお金が入るときだったから、女の子育てておけば機が織ってもらえるっつって。でも地元だから。ずっと小学校、中学校卒業して、ね、だから9年間は学校やってもらって、卒業してすぐ織物を。自分ちのうちでみんなやるの。みんな一軒一軒機屋さんだったの。明見の田舎の方は。
だからみんなそこで女の子いれば機織ってくれるから。ほいで、うちもずっと手伝って、22まで機織って。だからさ、鶴の恩返しじゃなくて機織って恩返ししたんだよ。育ててもらった9年間を。
静岡からこっちへ子供のときにもらわれて来たんだわ。勝俣の方でね。ほら、育てておけば、女の子は織物織れるから。だから私は何のため…鶴の恩返しのために通って、機を手で朝の8時から夜の12時、1時まで織って、9年間織って、ほいでここへ嫁に来たんだわ。だからさ、なんか機を織るためにここへ来たんだから、鶴が恩返ししたんだわと思って。